戦後のゴルフ界をささえた小野光一とは
戦後のゴルフ界を支えてきた小野光一は、1919年に旧満州の大連で中国人として生まれました。
1937年、大連のゴルフ場でキャディとして働いていたところ、ある人物の誘いでプロゴルファーになるために来日します。
横浜にあるゴルフクラブで日本人ゴルファーに指導を仰ぎ、ゴルフの腕前を上達させていき、その後、プロに転向しました。
1949年には、関東のプロゴルフ選手権で、プロになって初めて優勝をします。
その翌年の1950年、来日して13年という年月をを経て日本に帰化し、この時から小野光一という名前になりました。
帰化してからの活躍はめざましく、1951年にはメジャー大会である日本オープンゴルフ選手権で優勝します。
さらに、1953年、1955年にも優勝を重ねました。
同じ1955年には、日本プロゴルフ選手権も制覇し、ゴルファーだけでなく、ゴルフを知らない多くの人も名を知る存在となっていきます。
1955年からは、国別対抗戦であるカナダカップの日本代表に選ばれ、1957年にはそのカナダカップで日本代表として団体戦で優勝するという素晴らしい成績を残しました。
その時は、個人戦でも5位入賞という活躍でした。
中国から帰化し、日本のプロゴルフ界を支えてきた功績は素晴らしいものでしたが、2000年81歳で惜しまれながらも脳出血で逝去されました。
そして2012年、それまでの功績を称えて第1回日本プロゴルフ殿堂顕彰者として選ばれています。
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カテゴリー:男子プロ